MIMOZA
RADIATE
MIMOZA
RADIATE
Key Monastery,Spiti Valley
photo by Iori Miura
MIMOZA MIURA
弥百紗
三浦
2000年12月17日生まれ
画家/グラフィックデザイナー/映画製作者
I am Painter, Graphic designer, Film maker and Improvise dancer...
M∞R/Mimoza Radiate(ミモザ・ラディエート)
土、石、珊瑚、隕石..
思い出深い土地の素材、
ヒマラヤの石らを絵に混ぜながら
大地の素材で描く
ニューアースクリエーター
23歳のアーティスト
天空の湖 Pangong Tso
Nako Lake
天空の湖 Pangong Tso
旅をしていると、自分には全く関係ないと思っていた場所でも、
なぜか涙が止まらなかったり、心惹かれて仕方のないことがある。
インドヒマラヤ、各地を旅する中で感じられる
この胸の輝き、
ヒマラヤに残る叡智の輝き、
懐かしさ、星の瞬き、音、土地のバイブレーション、
身体中で感じられる、その言葉にならない全てを込めてー
愛を胸いっぱいに感じながら
祈るように描く。
この胸の懐かしさが語りかけてくるように、
絵によって、私の心も統合されてゆく。
Mimoza Miura
About Me
福岡県北九州市生まれ。
自営業を営んでいた両親の元で育った。
小さい頃から、精一杯に愛に生きる母の姿を見て、またお店に来られるお客さん達との交流の中で、言葉で話さずとも、愛の交流、人との交流、美しいものを見る目が自然と育っていった。家族みんなが愛してくれた。
やがて、父のルーツである大分県国東半島の田舎に移住し、何にもないところから生まれる想像力に出会った。
絵を描きはじめた。
親しい友達もでき、エラゴンという存在も現れた。彼らとは本当によく心の内を話し、ちょっとしたわだかまりや価値観の違いにも向き合った。時に腹の底を見せ合い、苦も楽も共にしていくうちに、いつしか母を中心に大きな家族のようになっていった。
また2017年には、家族4人で日本中を旅し、東北の方で過ごした年もあった。
白鳥を追って、北へ北へ..
その年、富山国際展示場にて、初めての絵の展示会をした。
自分達が愛と情熱を持って、心の願いにアクセスさえすれば、
どんな場所でも、
生きていけるんだと、
豊かな気持ちが心で輝いた年。
それは母やエラゴンが与えてくれた、とても尊い時間だった。
のちに、その時にただ感動で撮り溜めていたビデオを元に、
映画「BEGINNING OF LIGHT 1」を制作。
母とエラゴンと、突き動かされるように、
日本中で自主上映会を行う。
人に作品を見せる、また儚い輝きを表現していくという勇気はその時に学んだ。
はじめて絵の大作のオーダーをいただいたのもこの年だった。
学校や社会という組織に属していなくても、お金がなくても、幸せは心の内から生まれるんだと、体験が教えてくれる。
やがて、学校で過ごす時間に意味を見出せなくなり、
そこそこ楽しかった高校も中退。
ミモザラディエートという名前は、中退前の授業中に思いついた。
本名のミモザに加えて、ラディエートは、輝く、感情や魅力などを表に出す、または光や熱を発するという意味。
未来を願って、偽りのない自分で生きたいと迷いなく浮かんだ名である。
2018年
拠点を北九州に戻し、カフェがスタートした。
料理が上手な人、お話しが上手な人、、仲間達みんなの表現の場所が出来たのだ。
私はアートを活かして、カフェのチラシのデザインなどをするようになった。
同時にあらゆる場所で、テーマを持って、アートや食の展示会を数回行う。
英語も、芸術も、人との付き合い方も、礼儀も、歴史も、世界史も、
体験で学んでいくようになった。
あらゆる先生が現れてくれた。
私にとって、エラゴンもその1人だった。彼の生き様、知識から、あらゆる大切なことを学んだ。
いつしか、彼は私たちの家族、仲間の中で無くてはならない存在になっていた。
彼から語る事は無くても、
ラジオのように(15年間インドに住んでいたという)彼の存在を通して自然と自分達もインドに惹かれ出したのが2019年。
また母に語りかけてくるように、クリスタルが集まってきた。
弟も私もクリスタルやインドについて沢山調べはじめた。
...そして、
それから3ヶ月後には展示会を経て、
初めてのインドへ行くことになる。
初めてのインドは衝撃だった。
生きている、何もかも生きている
喧騒の中にある調和
約1ヶ月間の旅だったけれど、今でも鮮明に覚えている。
神々の住むヒマラヤ、母なるガンジス川
圧倒的な自然の力、そこにいる人々の生命力を前にして、何度涙したことか。
インドを心から愛するエラゴンが魅せてくれるインドは、本当に素晴らしいものだった。
ぬるま湯の中で生きている私たちが忘れてしまった
ハートを使って生きることを、彼らの何気ない行動から思い出す日々。
静かに、体裁を装う自分、小さな概念が壊されていった。
帰国後からは、初めてのインドの衝撃が忘れられず、また行けるように頑張ろうと、日々の源になった。
また同時に、お家で過ごす当たり前の日々でさえ、大切にしたい時間になった。
旅のたびに祖母や愛犬を想って泣いては、
それでも行きたいのかと自分に何度も問うた。
おばあちゃんもずっとずっと願い応援してくれた。
仲間達、あらゆる存在が願ってくれているのがわかった。
そして、2度目のインドでは、
2020年コロナウイルスの影響で、私達もヒマラヤの麓でロックダウンになった。
3ヶ月間のインド旅行のはずが、半年間インドで過ごすことに。ホテルから出られない日々が約1ヶ月間続いた。
飛行機もない、お店もクローズ、
未だかつてないパンデミックの中、
世界がストップしても、変わらないもの
大切なものに目を向けられる時間になった。
奇跡のような出会いの中で、ヒマラヤの奥地にも行った。それはそれは尊い経験だった。
自らのルーツを巡る旅でもあった。
帰国後からは、ロックダウンの体験をもとに、
家族でドキュメンタリー映画「BEGINNING OF LIGHT 2 」を作った。
映画と共に自分も成長した。
いざ上映の旅がはじまると、引き寄せられるように、本当に沢山の方々に出会った。
初めての上映会から満席。素晴らしい出会いばかりだった。
その後は、シェアする深い歓びと、突き動かされる想いだけで、
自主イベントと、鉱物のイベント(ミネラルマルシェ)に出展し、
日本中を旅しながら上映するようになる。
国が閉じている分、誠心誠意込めてシェアして回った、誰が欠けても出来なかった約2年間。
はじまりは私の20歳のお誕生日からだった。
そして2022年。
ようやく国が開き、またインドに行くことになる。
ロックダウンの時のお礼を伝えに行った。
旅をしながら、絵を描き、ウェブデザインやチラシデザインの仕事も行った。
そして同時に、
新しいカフェ&ギャラリーをオープンする。
願いに生きる表現者の活動の場所になるように、
現代で生きづらい誰かの心に光る、何かのきっかけになって欲しい、
そんなみんなの想いで作った。
美しい料理を提供してくれる仲間達のおかげで
オープンから今日まで、おかげさまで沢山の方々に来ていただいて、
ホームでもあり、沢山の方々の活動の場になっている。
ヒマラヤからは、ロックダウンの時にお世話になった職人の友人も来た。
またこれからも願いに生きる表現者たちが来る。
そして、ずっとずっと旅は続いている
2023年には、
77年間(お家が好きで)日本から出たことのない、おばあちゃんと一緒に
アラビア海から、砂漠、ガンジス川、インダス川、ヒマラヤへ
約4ヶ月間 約8000キロの旅が始まった。
母たちが探究してくれた、大切な歴史の遺跡も同時に辿りながら..
今回もまたより一層絵に描き残したい、魂の震えが残っている場所を巡った。
そして、何度もおばあちゃんが感動で涙する姿、どんどん美しく少女のようになっていく姿が
忘られない。
親子3代で母なるインドの愛に触れる
とても尊い時間だった。
人それぞれに生まれた道が
あるとするならば、
私は絵を描く
表現する
人生にあるようだ。
生まれた時から
愛や叡智を教えてくれる人たちがいて、
旅をさせてくれる人たちがいる
だからこそ描こう
胸の輝き、星の輝き、地球と一体になるような感覚
音、響き、感情、学び、言葉にならない全てを
かけてきた自分自身の魂の尊さを
胸いっぱいに感じながら
描くんだ。踊るんだ。
2023/10/2 Mimoza